タンゴは、1880年頃、ラプラタ川の両側、ブエノスアイレスと、ウルグアイの首都モンテビデオを中心に生まれました。
当時のブエノスアイレスは、イタリア、スペイン系を中心とした、ヨーロッパからの移民や、アルゼンチン内陸部からの移住者、アフリカ系の人々など、様々な人種の人びとであふれていました。タンゴはそういった環境の中、ブエノスアイレス南部地域で貧しい労働階級の人々を中心に様々な文化が混じって生まれましたといわれています。
タンゴは、アフリカの、カンドンベ、キューバのハバネラ、アルゼンチンのフォルクローレ、ブラジルの音楽、その他、様々な影響を受けて生まれましたようです。貧しい人々が日々の生活の辛さを紛らわすために踊りました。
タンゴは、始めは労働階級の人々が娼婦と踊ることが多かったようです。当時、港のあったのボカでは、練習のために男同士が、おぼろげな街燈の灯りの下で踊る姿が見られたりもしたようです。
タンゴ発祥のころは、ギター、フルート、バイオリンを使ってタンゴが演奏されていました。その後、移民によってバンドネオンが持ち込まれました。その音色はいまではタンゴ音楽に欠かすことの出来ないものとなりました。
タンゴが貧しい人たちの間で生まれた音楽ということで、なかなか、それ以外の階層の人々に親しまれることはありませんでした。しかしながら次第にすべての階層の人びとに好まれるようになりました。それにより、場末のリズムから、ほかの階層の影響を受けることになりました。その後ピアノの音色が加わり、タンゴ音楽はさらに出来上がったものになりました。
1940年代は、アルゼンチン・タンゴ・黄金時代と呼ばれていますが、それより前に、タンゴ歌手カルロス・ガルデルが、作詞家、アルフレッド・レ・ペラとともに、ほとんどのタンゴの古典を作り上げました。その後、ガルデルは、フランスでも名声を受けました。1935年の6月24日にガルデルは事故によりその一生を閉じました。
タンゴの歌詞は、ブエノスアイレスの一般の人々、特に苦しみや悲しみなどの人生の暗い部分を取り上げることが多く、また、ブエノスアイレスの市街、思い出など、それぞれの歌がブエノスアイレスの文化を語っています。タンゴという文化を通じて、アルゼンチンのブエノスアイレスでの生活や人生等、様々なことを感じることが出来ます。