昌克

SAWA MASAKATSU

― リーベル・プレート 在籍時の情報 ―

RIVER PLATE(ARGENTINA)

2002年シーズン 澤昌克個人成績(CUARTA(19歳から20歳))  18試合出場2得点

2003年シーズン 澤昌克個人成績(CUARTA(19歳から20歳))  20試合出場3得点

2003年期シーズン ベリンツォーナ(スイス)国際ユース大会優勝 2試合出場

 

千葉の中央学院高校出身の、澤昌克は、2001年1月に、アルゼンチンにサッカー選手としての成長を探すために来ました。はじめの1年間は、リーベル・プレイトの5軍にて練習参加し、そして2002年1月に、その能力が認められ、リーベル・プレイト4軍に選手登録しました。

 そして2002年の、チャカリータ戦で、4軍公式試合初出場、2002年7月27日、対、ベレス・サルスフィールド戦で、先発選手として初出場、その試合で、1得点を決めました。その後先発に定着、ボカ・ジュニオールスとの試合(クラシコ)にも先発フル出場し、アルゼンチンの新聞でも、その働きを評価されました

 2003年も、リーベル・プレイト4軍で、右ボランチとして、ほぼ全ての試合に先発出場しました。また、この年スイスで行われた、ユースチームの国際大会にも、出場し、優勝を飾りました。

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2001年12月19日  アルゼンチン、スポーツ紙”Ole”のインタビュー

マサは、楽しそうに、笑顔で話し始めた。”私は、リーベルがとても好きです。いい練習施設、素晴らしい選手、監督、コーチ、私にとって、リーベルは、1番のチームです。外交的に、自分の人生や、プレーについても語ってくれた。2001年のはじめ、練習参加を始めて、来年早々に、リーベルの4軍の選手登録すると予想される。

”以前は、フォワードとしてプレーしましたが、今は、ディフェンスとして、プレーすることが多いです。だから、今は、どんなポジションもできます。個人的には、中盤か、フォワードが好きですが、

−リーベルでは、楽しく過ごしていますか?

”はい、たくさんの友達がいて楽しく過ごしています。彼らは、まだ言葉のあまり喋れない私に、スペイン語を教えてくれたり、助けてくれたりします。”

−リーベルでプレーすることに対しては?

”もっとたくさん試合がしたい。来年は、選手登録するので、もう少し筋肉をつけたい。また、もっとボール扱いを速く、上手に、90分間早いスピードで走り続けられるようにしたい。”

−リーベルのインチャ(サポーター)になりましたか?

”はい、熱狂的なインチャです。だから、トヨタ・カップでは、高原のいるボカではなくて、バイエルン・ミュンヘンを応援します。(ボカと、リーベルの強いライバル関係のため)

 

22002年11月20日、アルゼンチン、スポーツ紙”Ole”のインタビュー

2001年のはじめからリーベルで練習参加をし、今年2002年に、リーベルの4軍として、選手登録してから、ほぼ全ての試合先発出場を果たした。”はじめに、アルゼンチンに着いた時は、中国人や、日本人、頭、とかそんな風に呼ばれましたが、今は、マサ、とか、マシータとか。”

今は、4軍の、背番号8番(中盤右側)でプレーしている。”今は、ポジションがあるので、嬉しく思いますが、まだまだ、十分でないので、もっと上達したいです。

−どんな点が良くなりましたか?

”精神的に向上したと思います。チームメイトに信頼が持てるようになりました。サッカーについては、自分では、よくわかりません。はじめは、フォワードでプレーしましたが、その後、左サイドのディフェンス、そして、ここのところは、8番でプレーするようになりました。ここは、攻撃も、守備も出来るので好きなポジションです。”

−日本を懐かしく思いますか?

”そんなにではありません、たくさん友達を持っているからです。アサド(アルゼンチン焼肉)、や、ドゥルセ・デ・レッチェ(牛乳でできた、アルゼンチン特産のクリーム)も好きだし、女性もきれいだし、(笑)。友達と、よく外出もします。”

 

2002年8月25日、アルゼンチン、スポーツ紙”Ole”より

リーベル・プレイト4軍は、ボカ・ジュニオールスとのクラシコに、2−0と完勝し、左の写真では、得点を決めた際の喜ぶ様子です。また、この試合スタメンでフル出場した、澤選手については、決勝戦かなにかを戦っているように、止まることなく走り続けたと、クラシコ・デビューを写真付で高評価されています。

 

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